会社概要 | 株式会社土肥富|釣り針(釣針)

会社概要

本社
代表者 代表取締役社長 土肥正芳
設立 昭和26年1月29日
創業 明治25年(1892年)
資本金 40,000,000円 (800,000株)
会社役員 代表取締役会長 土肥芳郎
代表取締役社長 土肥正芳
取締役 土肥勝芳
監査役 土肥由美子
従業員 本社・工場 68人  大阪営業所 6人
年商 約11億円
事業内容 釣針および釣具の製造販売
取扱商品 釣具
輸出先 東南アジア、アフリカ、ヨーロッパ、北中南米、オセアニア、中近東、東アジア、その他
国内販売先 釣具卸売店、釣具小売店、各地漁業組合、漁網メーカー、インターネット販売
国内仕入先 兵庫県釣針協同組合、他多数
主要取引銀行 みなと銀行社支店、東京三菱UFJ銀行三宮支店及び大阪西支店、三井住友銀行大阪西支店、他
本社工場 〒673-1324 兵庫県加東市新定382-3
電話番号:0795-46-0001
ファックス:0795-46-0303
フリーダイヤル:0120-46-0001
工場敷地面積 61,000㎡
大阪営業所 〒550-0012 大阪府大阪市西区立売堀1-6-5
電話番号:06-6532-0001
ファックス:06-6534-0303
分工場 兵庫県加東市3箇所
兵庫県宍粟市1箇所
関連会社 土肥商事株式会社 (不動産管理)
メールアドレス maruto@dohitomi.com
ホームページ http://www.dohitomi.com
組合活動 社団法人日本釣用品工業会(JAFTMA)会員
大阪釣具協同組合会員
兵庫県釣針協同組合会員
公益財団法人日本釣振興会会員
土肥芳郎の公職

公益社団法人社納税協会理事

兵庫県釣針協同組合相談役

土肥正芳の公職 社団法人日本釣用品工業会(JAFTMA)理事
大阪釣具協同組合理事
兵庫県釣針協同組合理事
公益財団法人日本釣振興会理事

 

■ マルト釣針小史

 初代土肥富太郎株式会社土肥富は、兵庫県加東市新定という小さな町にあります。その歴史は1892年にさかのぼります。
最初は極く原始的な手工法で農家の副業として近隣の村人達によって釣針が作られていました。先の読める野心家で情熱家であった初代土肥富太郎は、この製法の機械化を常々考えておりました。

 その当時は電力というものが使用出来なかったので、彼は旧式のオイルエンジンを使ったりしていましたが(発動機です)そしてついに1910年に日本で初めて釣針を機械で作ることに成功しました。
しかしながら、その当時日本の漁師達は大変保守的で、伝統的なものから多少でも異なったものには興味すら示してくれませんでした。

 このようなきびしい困難に直面した彼は、一時倒産も避けられないという立場に立たされたこともありましたが、そこは不屈の精神と辛抱強い根性であきらめることなく、新製品の釣針を各地の漁師に無料で持廻って実際に使ってもらい、その価値を認めさせたのであります。漁師達は逐次マルト釣針の優秀性、特に針先の鋭利さをほめるようになりました。
しかし、この機械化は多くの製造工程の中の一部分にしかすぎませんでした。もっと改良し、新たな開発によるより良い機械の必要性に迫られました。

 第二次大戦後、国際貿易の再開と同時に私達の市場(マーケット)は急速に拡大して参りました。この情勢に呼応すべき必要があったので、二代目社長土肥富誉はようやく全自動釣針製造機を開発、近代化に成功したのであります。又一方、焼入れの自動化連続化にも成功した結果、良質で且つ量産できるようになり、その成果は大きなもので、現在では月産2億本が製造可能となりました。
 私達技術陣は「より良いものを、より安く」をモットーに日夜努力しております。
今後共よろしくお引立ての程をお願い致します。製品についての御照会、お問合わせを頂ければ幸甚でございます。


社長挨拶

 

 本社の前身は、明治25年土肥富太郎によって、創業されました。当時は専ら旧来方式である手工製の釣針で、一本づつヤスリで削り、曲げて作られたものでした。

 これでは、一日に精々1,000本余りの数量しか出来ず、手間暇がかかり大変な作業でした。なんとかこれを能率化しようとして、種々研究を重ね、職工であった藤原重太郎、田中柳吉両名と力を合わせて、明治40年にようやく機械製の釣針の完成を見るに至りました。

 一方、販売・販路については、従来の手工製釣針と若干異なる点が指摘され、見劣りするとか、重厚性にかけるとか、なんぐせをつけられてなかなか使用してくれなかったのを、各地の漁師を訪問し、無料で新製品を配布して宣伝に努め東奔西走しました。ようやくにしてその真価を認められるまでに、相当の期間と犠牲を必要としました。

 本社が機械製の釣針製造元祖として自負するのは、初代土肥富太郎が業界に先んじ、大きな犠牲を払いながら、偏見と労苦を克服して、ここに日本一の釣針産地としての基礎を切り開き、築き上げて行ったからです。そして今日、彼を全国生産の95%を占めるに至った播州針の中興の祖と言っても過言ではないでしょう。

 土肥富太郎商店では大正3年頃より、既に海外より釣針の注文を受けて着々と販路を開拓し、輸出の進展に寄与し国の内外需要に大きな実績を作り上げ得たのも、機械製釣針による性能・能率等が功を奏したからであります。

 昭和24年、二代目社長土肥富誉は、わが国で初めての自動製針機を開発しました。それ以降、これに改善と改良を加えて適応範囲を拡大したり、一層難易度の高い機械へと推し進めてきました。

 昭和30年11月3日憲法発布の日を卜(ぼく)して兵庫県知事より、地方産業振興発展に寄与した功績を讃え、富太郎が表彰されたことは、わが社の最も光栄とする処であります。

 本社は掛かる創業者の偉大な功績と労苦を忘却することなく、機械の改善に専念し、品質の統一や原価低減に不断の努力を続けなければなりません。

 昭和30年日本国通産省の指導の下で、日本工業規格JIS-S-7001釣針が制定され、JISマークの表示許可工場がこの地に10数軒も出来て、いよいよ工業標準化と品質管理が急速に普及していきました。

 昭和32年12月24日わが社は、日本国通産省から日本工業規格JISマーク表示許可工場第5697号を頂きました。

 爾来、我が社の品質管理の精神的な支えとなっております。いつの時代も良質でよいものを人々は求めていることを忘れないで精進して行こうと思います。

株式会社土肥富 代表取締役 土肥芳郎


経営理念(OUR MISSION=使命)

 

(1) 釣人に釣魚を通して健康を増進し、長寿を全うして頂こう。
(2) 世界の漁師に釣針を通して、魚の収穫に寄与する。

社是

 

最良の奉仕へ 最大の努力を
最小の犠牲で 最大の効果を
誠心誠意は 信用の根源なり

社訓

 

(1) 開拓者精神を片時も忘れるな!
(2) 釣針を通して、世界の人々の生活を豊かに!
(3) 豊かな生活は、豊かな心と技術から産まれ出る!
(4) 絶えざる反省が進歩を生む、ただ前進あるのみ!

 

沿革

 

明治25年 1892 土肥富太郎によって創業する
明治40年 1907 釣針の機械を考案し、従来の製法を革新し何十倍の能率化に成功する
品質の均一化とコスト安をキャッチフレーズにして、国内販路開拓に東奔西走する
大正3年 1914 釣針の輸出を開始して、着々と販路を開拓する。機械生産の威力が徐々に現れてきた
昭和20年 1945 土肥富誉店主となる、物資不足の時期を乗り越え、そのバイタリティーで勇躍発展、今日の基礎を作る
昭和26年 1951 (株)土肥富太郎商店に改組、資本金150万円でスタート、取締役社長に土肥富誉が就任
昭和28年 1953 大阪市西区に大阪出張所開設
昭和30年 1955 日本工業規格JIS S7001(釣針)が制定された、同時に輸出検査が実施された
憲法記念日を卜し、土肥富太郎は兵庫県知事より地方産業振興発展功労賞を授く
昭和32年 1957 資本金300万円に増資
昭和34年 1959 土肥富誉が兵庫県釣針協同組合の理事長に就任した。(~昭和58年5月まで)
昭和35年 1960 創業者土肥富太郎永眠
昭和37年 1962 本社社屋竣工
昭和38年 1963 資本金500万円に増資
昭和39年 1964 通産省輸出貢献企業に認定される (~昭和45年まで)
昭和42年 1967 兵庫県知事より機械金属工業の新興発展に寄与したかどで表彰される
昭和44年 1969 資本金1,000万円に増資
昭和46年 1971 大阪出張所社屋竣工
日本初の連続式であるカーボ・マーク式ガス浸炭連続熱処理炉を導入
品質管理に欠かせない引張試験機オートグラフを設置する
昭和48年 1973 本社南倉庫竣工(3階建)
昭和51年 1976 土肥富誉、勲五等双光旭日章褒賞を授く
昭和51年 1976 資本金2,000万円に増資
昭和52年 1977 資本金4,000万円に増資
昭和55年 1980 中小企業産地振興臨時措置法による「産地指定」を受ける
昭和57年 1982 第一社屋改築工事完了(平屋建)
日本初ステンレススチール線材を使用して本格的に釣針に応用した
昭和58年 1983 土肥富バザール新築完了(マツヤデンキ小野店開店)
スペリア式ガス浸炭連続熱処理炉の更新設置
昭和62年 1987 社屋増築工事完了(4階建)
平成元年 1989 排水処理施設、新設(一部改修)工事完了
平成2年 1990 2月に(株)土肥富に社名変更した。大阪出張所は大阪営業所に社名変更
同時に代表取締役に土肥芳郎が就任、3代目社長が誕生した。
本社新駐車場竣工
平成3年 1991 創業100周年
平成4年 1992 中Ⅱ型連続熱処理炉を導入
平成7年 1995 創業100周年を記念して、日中合弁企業を設立。2000年に解散
4月16日 2代目社長土肥富誉永眠 享年91歳
国産初の3本針親針整型機が完成する
阪神淡路大震災で、本社工場が少し被害を受ける
平成10年 1998 JIS S7001の規格改正 kg表示からN(ニュートン)へ変更される
「高齢者雇用に積極的協力をした」として甘利労働大臣より表彰を受ける。
スペリア式ガス浸炭連続熱処理炉の第三世代機の設置
平成11年 1999 小II型鋼専用熱処理炉を導入した。
平成12年 2000 日中合弁企業「煙台土肥富釣具有限公司」を円満に解散した。
平成13年 2001 兵庫県知事貝原俊民名で、我社の申請した経営革新計画を承認すると回答を頂く
平成16年 2004 第三代目社長土肥芳郎が兵庫県釣針組合の理事長に就任。
平成17年 2005 社納税協会で活躍中の土肥芳郎が大阪国税局長賞を受賞した。
平成18年 2006 鋼専用焼戻炉増設、直線切断機の増設、平打付き整型機の増設をおこなった。
平成19年 2007 実用新案登録取得 「蛇腹切釣針=SSC」
革新的尖頭機の開発・導入。
平成20年 2008 日本品質機構(JQA)より新JIS規格の認証を受けた。
商標登録取得 「蛇腹切釣針=SSC」
平成21年 2009 実用新案登録取得 「特研釣針=SUMMIT FISH HOOKS」
平成22年 2010 商標登録取得 「TRINITY TREBLE HOOKS」
「HYBRID QUALITY FISH HOOKS」
平成23年 2011 日本品質保証機構(JQA)より新JIS規格の再認証を受ける
3本針の整型機の開発に成功した。
平成24年 2012 鋼専用熱処理炉の革命を実現
創業120周年記念感謝祭「MUSIC LIVE IN TOJO」を多くを招待して開催する。
代表取締役土肥芳郎が「黄綬褒章」を受賞した。
9月16日(日)に土肥芳郎氏黄綬褒章受章記念「関西学院グリークラブ東条リサイタル」を開催し、
多くの人々の祝福を受けた。
平成25年 2013 加東市新定藤ノ木社屋竣工した。地下一階、地上2階建て、技術開発部、品質管理部、梱包部が
入室する。 線材倉庫(除湿形式)と梱包の倉庫を設けた。
平成26年 2014 振動バレル研磨機の更新 尖頭機の導入 トリクレン洗浄、バッチ式焼戻炉の新設。
平成27年 2015 バッチ式焼戻炉の導入 大阪営業所のリフォーム実施 トリクレン槽、洗浄用タンク増設
脱水機筒取替え 精密整型機の増設
平成28年 2016 鰐腹切釣針の意匠登録、商標登録を済ませる。
(CSC=CROCODILE STOMACH CUT FISH HOOK)
平成29年 2017 日本品質保証機構からの再認証を受けました。
ミニチュアリング及びオーバルリングの社内生産を開始した。

 

新JISマークについて

わが社は新JISマーク表示認証を受けました。

新JISマークについて

 

播州針

「播州針」土肥富のご案内


現在の播州針は加東市東部旧東条町を中心とした地域に、幕末の嘉永年間、小寺彦兵衛翁を元祖として興りました。
現在も培った技術と伝統を基に高品質な釣針を供給し続け、全国に播州針として広く知られています。

そして2010年6月 長年努力の確かな技術、地場産業としての確立が認められ「播州針」が地域団体商標に登録(申請者:兵庫県釣針協同組合)されました。

 

事業内容

事業内容のご紹介

釣針および釣具の製造販売を行っております。

製造の様子

製造のフローチャート

釣り針の製造工程を簡単に紹介します。
線材と呼ばれる鉄鋼などの原材料を釣針に必要な長さに切断し、その先端を尖頭(先に削って鋭くする)して長さを揃えます。次に釣針の形に曲げていきます。これを整型といいます。形の整った釣針は熱処理炉の中で加熱し焼入れをし、焼戻しをして、釣針を強靭なものにします。そして水みがき、挽粉みがきまたは化学研磨をし、その後メッキ又は焼付塗装のどちらかの仕上げ(表面処理)をします。次に撰別、秤量後、スネル加工又は包装を経て梱包され、出荷されます。

釣り針の製造工程